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よろこびの針がいきなりピークに振れる

 えんじ色のリボンを解いて、くるりと巻いた画用紙に描かれたドローイングを、朝の光のなかで広げて眺めていた。この絵を携えて、晩秋に訪れた小さな旅人を思い出しながら。
 まだ8歳の彼はママと一緒に新幹線でやって来た。改札口で出迎えていると、彼は自分で描いた絵を私に差し出して、自分の名前を言うのが精一杯だったが。しばらく車に一緒に乗っていると、外の景色に興奮して、自分でも思わず、わっ、わっと声が出たらしく、そのあとは天真爛漫、心のエンジンが始動したようだった。 diary photo   
 40分のドライブの後、ようやくクインテッセンスへ着いて扉を開けたとたん、ずんずん中へ進んでいって「わっ、かっこいい。ママはやくきて。これみて。すごいや」と金糸銀糸の刺繍の古布の入った額を指差した。見たことのない世界を前にして、子供はよろこびの針がいきなりピークに振れるんだねえ。それってすごいや。
「かわいい子には旅をさせよ」ということわざがあるけれど、若いうちに旅をしたほうがいいと言われるのはこのことかもしれない。
 英語にも 'Let your dear son go traveling and see the world.' というのがある。甘やかさずに「世界を見て来い」と。目の前の彼はパリやミラノへも行ったことがあるそうだ。でも、ママに連れられて、と付け加えた。
 帰りぎわ「夏休みにまたおいで」と誘ってみた。「うん、このつぎはひとりでこれるよ。こんどはひこうきできたい」。

2月7日

 クインテッセンス南側、庭を眺めるデッキに腰掛けると、ちょうど日よけの紗幕の間から柑橘の木が見えた。
 私の木ではないので近づくのは遠慮していたが、引っ越してきた時には既に植えてあったから、少なくとも3年は過ぎているはずで、それにしてはちょっと成長が遅いなと思い、去年の今ごろ、近づいてみた。すると枝にも葉にも白っぽい粉が吹いたようになって若い葉はことごとく虫に食われて、いびつな形をしていた。すわ、レスキュー。  
 取るものもとりあえず、家に戻って枝きりばさみを持ってゆき、虫食いのある葉や、白い粉に覆われた枝は、思い切り落とした。どこへ捨てようにも、その先でまた繁殖するといけないので、しかたなく長靴の底で踏みつぶしたが、いやぁ〜な感じ。あとで「みかん 害虫 白い粉」とgoogleに入力して画像検索してみたら、白っぽい粉はカイガラムシらしい。その後も幾度かは気にかけて観ていたが、春以降は瑞々しい葉を付けはじめたので、もうすっかりそのことは忘れていた。
 ところが、秋になると小さな丸い玉が紗膜越しに目立って、デッキに出るたびにその深い緑色の玉に注目していると、だんだん大きく寒さの中で色づきはじめた。今や太陽の光を存分に蓄えて、実は光を放つように黄金色に熟している。

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 デッキに座ってみれば、そこが特等席のような眺めである。冬のどんよりと曇った空のもとでも、こちらをまっすぐ向いて「ほら、私を見て」と輝いてみせる。

2月20日

 小さな女の子がふたり、付いたり離れたり、鈴を転がすように笑いながらやってくる。「じゃあ、魔法の絨毯に乗ってゆきましょ」とすれ違いざまにひとりがささやいたのが聞こえた気がして、え?とわが耳を疑った。そのままどんどん遠ざかってゆく話し声を背なかに感じながら、心のなかにはどんどん寂しさが募ってきてた。あのとき、「私も一緒に行きたいな」と聞こえるようにつぶやいていたならと、機を逸した自分を忌々しく思った。子どもの頃はそんなことばかりして遊んでいたのに。
 あんなのは夢のなかでしか成り立たない会話なのだから、たとえば私などは身なりからしておとぎの国ですれ違った旅人にでも見立てて、ふたりは遊びのつもりが現実になったように愉快な気持ちになって、乗せてくれたかもしれない。
 ところで去年のハロウィーンには、魔法の絨毯に乗ったアラジンがニューヨークシティに出現した話題で盛り上がった。映像で見た魔法の絨毯は、赤い布を貼った木枠をスケートボードに取り付けたものだった。アラジンに扮した若者を乗せた絨毯は、浮力でふわふわ揺れながら次第に勢いをつけると、猛スピードで車の間をすり抜けざまにスイーッと飛び立ちそうだ。
 マンハッタン街の、道行く人は華麗なる幻惑にわが目を疑い「今のはなんだ?」って大喜びだったらしい。うらやましい。何がって、ハプニングとかパフォーマンスとか、そういったシュールなセンスを目の当たりにするとき、見知らぬ人々が今この時ここに居合わせて、夢と現実の狭間に陥り、おとぎの世界で一体感を味わうことが。合い言葉はアブラカダブラー! photo_mirror work