logo

仮想空間で新型機の3Dを構築して
diary photo
 あけましておめでとうございます。花も凍える寒さのなかで、凛として雪景色に色映す寒椿は、茶の湯の花として好まれる。今年の処しかた手本にしよう。
 映画マトリックスシリーズの俳優キアヌ・リーブスが言ってた。「人生は一本の古いロールフィルムのようなものだ。最初はゆっくり回っているんだけど残り少なくなるつれてスピードは早くなる。あれもこれもやることおおくて」。そして世の中のスピードはもっと加速している。それを象徴するニュースのひとつに、米国ボーイング社がメタバースで次期新型機開発を試みようとしていると伝えていた。
 メタバースってなに? 超(meta)と宇宙 (universe)を組み合わせた造語だそうで、仮想空間で新型機の3Dを構築してシミュレーションを走らせる。瞬時に欠陥を発見して改良時間を短縮できるだけでなく renewing obsolete paper-based practices… デジタル・エコシステムは、設計に必要な膨大な紙の量を減らせる。

1月10日
diary photo  キアヌの言葉じゃないけれど、自分の古いフィルムの残りもあとわずか、年が明けて暮れてもや、本当に必要なことをするためには、全身全霊集中してエネルギーを注ぎこんで、しごとのペースを上げないと間に合わない。
 昨年、こどものためのちいさな籠展を計画してみて、何か使命感を持ってストーリーイメージを作り込むほど熱中できるものはないということに気がついた。そんな単純なことに今頃になって気がついたのでは遅すぎるのかもしれない、けれど、なんでもそうだが、ものごとには好機というものがある。 数知れぬを経験して、積み重ねてきた天職が、世の中の流れとぴったり呼応するときにたしかな手応えを感じる。その気を掴んでためらうことなくそれ行けっ。
 そして毎回、予期せぬ怒涛の嵐に直面するときも、冷徹な光の煌めくダイヤモンドを核心に、黄金のハートをいくつも連ねたブレスレットに、きき手を重ねる。

1月20日
diary photo  数十年前のちょうど今頃の雪の宵、広尾のちいさな蕎麦屋で、仕事の先輩から鴨鍋をご馳走になった。その滋味を味わう手元の、見たこともないような深い色の青竹のお箸が目にも鮮やかだった。こんなに美しいお箸は見たことない。
 竹を割ったようなという表現があるけれど、まさにこれは新鮮で清く潔く、一期一会を象徴するに違いないが、使い終わったらどこへ行くのか。お店でとっておくとは思えないし、捨ててしまうのだろうかと気になってしょうがない。鍋と蕎麦を食べ終わり、甘味とお茶が出てくる前に思い切って尋ねた。
  「このお箸はすてきですね」すると店主は「ありがとう存じます。どうぞお持ちください」って。雪降るなかを嬉々として持ち帰り、今ではヌメ革みたいな色になってきた。去年の籠展の折に堀さんが、東京へ戻る途中に青竹の籠職人に会いに行くとおっしゃるので、青竹の箸を頼んでくださいとお願いした。ただいま到着。