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その日レストランにて
風さんの携帯電話の着信音は、行く先々でもひっきりなしに鳴って、私はすっかりそのメロディを口ずさめるほどです。自分をとりまく人びとに、できごとのすべてにつけ、命令や指示をしていました。私たちの旅のプログラムもばっちり掌握して、各方面に分刻みの手配をして、なにくれと世話をやいてくれます。オフィスに戻れば嵐のように忙しく立ち働き、スタッフがぼやっとしていると大声でまくしたてる、直情型だと見受けました。だから、私たちを友だちに紹介するときの意味深長な言い回しは意外でした。
 
デザートには杏仁豆腐を食べました。伴侶はマンゴーをたのみました。
 
友だちの幼児に、風さんが「このひとだあれ?」と自分のボーイフレンドを指差します。男の子は指をくわえたまま首を振ります。「モンキーだよ」と風さんが言うと、男の子はキャッキャッとはしゃぎました。もういちど風さんが「このひとだあれ?」と聞くと、今度は男の子が「モンキー!」と答える。おとなたちが大笑いする。それを何度も繰り返して、そのたびに座がどっと湧きます。たわいなく、どこにでもある風景です。私たちも、食事のテーブルであれこれと質問攻めに合うよりか、よっぽど気が楽でした。
 
そのことがあってから、天竺人の感受性というものに、強い興味を抱きはじめました。それはいったい、どういう背景から生まれるのだろうかと。大陸的という表現があります。細かなことにこだわらず、おおらかでゆったりした人や考え方のようですが、天竺に来てこのかた、それだけでは片付けられない、心深いところの動きや変化に触れて、言わずとも察するといったような呼吸、微妙に響き合うなにかを感じていました。
 
あらためて地図を広げれば、天竺は不思議なところに位置します。天竺を要としてユーラシア大陸全体は扇型に広がり、見方を変えれば、天竺は世界が流れ込む濃し袋のようにも見えるのです。その漏斗の上辺は、大陸を西から東へと縫うシルクロードです。いにしえより異国の地や人びとと陸続きの交流をするのが日常の、島国とはまったく違う生き方をしてきた人たちの機微に触れることは、あらたな境地を旅するようなものです。