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ほら、セントラルパークは歩いてすぐそこよ
diary photo 激しい雨の音が身近に迫る危機感と、各地の洪水の惨状に胸の潰れる思いがする今年の夏の始まりだった。ま、それでもと気を取り直そうとするが、雨後の飽和状態の湿気と猛暑に、残った力さえも根こそぎ奪われてしまいそう。
 しからば心鎮めて、日々の計画を淡々とこなし本を読み、居心地を取り戻そうと。これって、入院生活をしていた時の心境とまるで同じだなあ。消灯前にはサン=テグジュペリの「夜間飛行」英語版のペーパーバックを読み耽った。まるで澄んだ夜の空気を深呼吸するように心も軽くなっていった。
 この夏の読み始めはオー・ヘンリーの「ザ・フォーミリオン」という、ニューヨークの日常を描いた25の短編集だ。1906年の出版なので時代感覚は違っても、だれかがベンチの隣で話しかけてくるような語りがいきなり気持ちいい。
 いまここ、 although it's nothing that is as real と心惹き付ける新聞スタンドの写真もさることながら、軽妙な短編にこそペーパーバック版はよく似合う。ほんの三編ほど読み終えただけで... ほら、セントラルパークは歩いてすぐそこよ、って。

8月10日
 ゴールドのレリーフにジェムが埋め込まれたメダリオンは、クインテッセンスならではの特異なペンダントのコレクションかと思う。この型のメダリオンには幾度か遭遇しているが、どれも中央に赤いルビー、もしくはピンクサファイアの光、トップは補色関係で青いサファイア、または緑のエメラルドの光が対峙している。大きい凝ったつくりの場合は、トップの両脇に小さなダイヤモンドが対で侍る。
diary photo  アクセサリーとして身につける主人を引き立てるのみならず、求心性のあるデザインには光のオーラを感じさせる工夫が散りばめられている。そしてインドの宝飾品の古いものには、女性よりも男性のために作られたものが多く、威厳のためか、自尊心のためか、それ以上に、肌身につけて持ち運ぶことのできる財宝というメリットが大きいのかもしれない。
 それは、はるかムガル帝国時代の、キャラバンを組んで遠征するという旅の文化が色濃く影響して、ある特定の地域の土着性を感じさせない、いわばイコノグラフィーのように、図像のすべてがある約束ごとに従って集約されているのが伺える。

8月20日
 今年も鉢植えのカヴェルネ・ソーヴィニヨンの房がたわわに実ったが、この日照りで袋の中で乾いていた。レーズンみたいに少し柔らかいのは皮ごと噛み締める。まさにぶどうのエキスが滲みだして、ひと粒ふた粒と口に含んでは濃い味わいに目を丸くする。ところが収穫の半分くらいは完全に干からびてしまっていた。去年のちょうど今ごろ、同じように干からびた粒をなんとか利用できないかと思案していたとき、パン作りのサイトでレーズン酵母というのがあることを知った。
diary photo  そうだ、今年もレーズン酵母を作ろう。分量を思い出しながら朝夕にかき混ぜて、3日目には酵母の澱が見えた。今回はさらに酵母を強化すべく、冷蔵庫に入れる前に、浮いていた果肉をぎゅっと絞ったらこんな色に。酸素をたっぷり取り込むようによく振って、そしてこのエキスを使って酵母だねから仕込んでみることにした。
 出来上がりまでになんと、もう4日もかかるけれど、失敗の少ない初心者コースが私にはふさわしい気がして。
 去年は先を急ぎすぎて、レーズン酵母をそのまま水と合わせて作った。もともとフラットなフォカッチャを焼いた時は気がつかなかったけれど、パンを焼いてみたら、ふくらみがぜんぜん足りなかったし、焼き皮もすごく堅かった。ぶどうの色と香りを生かしたパンを焼くために、もういちど、初心にもどってやり直し。