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心と身体と周囲が良い循環に
 年の瀬はいつもなにげに慌ただしい気分でいたことをこの2年ほど忘れていた。
 この間にすべてのことが変化しているが、それは悪いようにはなって行かないのではないかという、これといった根拠のない楽観というか予感が自分にはある。そうなると身の回りの、今までは見過ごしていたものに、ふと目がとまるようになって、新鮮な驚きとともに心と身体と周囲が良い循環になってきたのかしら。
 朝、洗面所の窓を通してシャワールームの壁に、この季節は朝日が真横から差し込んで、窓の外に置いた植木の枝が墨絵のような影に現れ揺れて、角度によっては鏡に映って額縁を通り抜けてなお奥ゆき深く、屏風絵のようにも見える。
diary photo  むかし飼っていた猫の、影絵に飽きず戯れる様子が思い出されて、猫の興味の対象に感銘を受けたことがある。猫でなくとも、朝の光が描く幻想的な一幅の絵に、この楽園を捉えようと、急いでカメラを構えたが、I can’t get it’s bliss over you… 納得ゆく光のアングルになるまで待とうにも、機を逃せばたちまち消えてしまう。

12月10日
 冬を乗り切るにはやっぱり肉しかないと極寒のカシミールで思い知った。滞在したのは瀟洒なホテルで、設備も充実して、夜もベッドに電気毛布など用意されていたのだが、しんしんと冷え込む空気の冷たさは半端なく、寒くて眠れなかった。
diary photo  あくる朝、案内してくれた知人にそのことを訴えたら、肉を食べなさいと言われて、夕食にラム肉のシチュウを頼んだ。そうしたら、その夜ベッドに横たわってしばらくすると温かいものがお腹のあたりにぽっぽと。あ、羊が走り回ってる。その景色が浮かんだ途端寝落ちした。前夜の寝不足分も加わって朝までぐっすりの気持ちいい目ざめ以来、寒さにはラム肉で克つ。
 毎年12月には、ニュージーランドからのラムチョップを注文する。メニューはカシミールを思い出すラム肉のマサラ、あるいは塩とコショウでグリルしただけで。
 コロナ禍が去ったならレストランへ出かけ、こんな景色のひと皿を食べたいな。

12月20日
 明け方の気温が零度を切ると、遠くの山々が蒼く染まって霞み、寒さで肌がヒリヒリと痛いカシミールの朝が懐かしく蘇る。厳しさと美しさと鮮やかな花々の色。
 カシミールの工房で手紡ぎ手織りのストールを天然の染料で染めてみた。手仕事の粋ともいえる試作品を持ち帰ってショウルームに15色近く2、3枚ずつ置いた。diary photo
 どの色もダウンライトのもとで光沢を放ち、太陽のもとでは透明感が揺らぐ。その生き生きとした色艶は、朝に夕に変化して輝く花の色にも似て。
 ナチュラル・ダイと名付たストールを手に入れて、あれから15年以上も、いまだに冬に毎日纏うのはこれだけという客もいて、今年は日本で天然染の衣服を作ろうと藍染の工房など訪ねることに。天然藍は「紬の着物にでもしないと高価すぎて」と言われる。でも色あせて藍より青きシャツの姿を想像するだけでじっとしていられない。