logo

はちみつを少し加えて渋みを取り
diary photo イエローマスタードシードとブラウンマスタードシードを半分ずつ、3倍くらいの白ワインに漬けてふやかしているところ。待つこと3日3晩。
 いよいよ明日はこれをミキサーにかけて粒マスタードを作る日。粒マスタードの作り方は色々な人たちの書いたさまざまなレシピがある。
 どんな料理もそうだが、試すに至るきっかけは、素敵な語りに誘われて、出来上がりのイメージが頭の中でどんどん膨らんで、いてもたってもいられずに…小さなすり鉢ですって、はちみつを少し加えて渋みを取り、酢や塩で…という北村光世さんの著書「ハーブさえあれば」の一節が心に響き、以来その方法を守ってきた。
 食事の前にすり鉢ですると、まるで中世に遡ったような時が流れ、多くの手間と体力を要するが、しかしそれを補って余りある美味しさに毎回感動する。
 フレッシュなおいしさとはべつに、瓶詰め密封保存で熟成させてみようと、ミキサーで大量に作ってみることにした。I remember that time is money… 小さな瓶に封をして、常温熟成の期間による酸味の変化を大いに期待して。ああ、楽しみ。

6月10日
diary photo あらゆる生命体において、個々の経験は記憶され、時間の中で整理されてゆくと言われる。ならば思い出は、始まりから終わるまでの時間に収束する記憶の編集、その編集のしかたも経験の記憶から導かれると。
 やがて2年半にさしかかる自粛生活も、大蛇だの、怪鳥だのと、あらぬ生き物が出現して、やおら色めき立つ。人々はあたかもSFの映画でも観ているように、退屈な日常に降って湧いた大捕り物の行方を朝晩ニュースのタイムラインで追い、終にめでたしめでたし。すっかりおたずね者の汚名を着せられた主人公には、それまで仲睦まじく暮らした飼い主から引き裂かれる運命が待っていた。いったい私が何をしたって言うの?
 なんと哀しいラストシーンだろうか。私の経験からはそのように記憶された。
 環境のバランスが少し崩れると、逸脱した言説や振舞いが露呈するお祭り騒ぎになって、大切なものを知らぬ間にポケットから奪われたような気持ちになる。

6月20日
diary photo 自粛生活にこそふさわしい主題かもと、洋裁の古書を買い求めて、長い間気がかりだった被服の構造を研究し直しつつ実践している。時代がスピード感を持って変わりつつある今、着心地のよいシャツやクラシックなパジャマの型紙をアーカイブしておいた方がいいかなという危機感を強めたからだ。
 布も然り。インディゴ(インド藍)のトワル・ド・ジュイというフランス伝統のプリントを探していたら、精密なデジタルプリントで再現したという輸入生地を発見し、好奇心からサンプルを取り寄せてみた。ちょっと褪せた色や、版のムラまでも、一見オリジナルと見紛うほどのヴァーチャル古典だ。
 ただし、穏やかな表情やしわのよりぐあい、揺れによって立ち上る描写の、息を呑むような感動はなく、あれは手しごとならではの真髄だろう。インドへ行った時の藍染の工房で、働く姿を写し取ったようにハンサムな布の表情が脳裏をよぎる。
 美しい藍色の服を着て、毎日同じ時間に始めて終えて、淡々と着実に時を刻む。