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光をたたえた虫かごのように囲う。
 小さな籠をじっと見つめて、こんなふうに入念に編み込まれた籠を、こどもたちの持ち物とする展覧会のようなものができたら、どんなにいいだろうと夢見た。
 ある日、籠と手仕事界隈ではちょいと名の通った東京のgallery KEIANの堀惠栄子さんが熊本にいらした折に口にした。「いいかもしれない、考えてみます」と二つ返事で引き受けてくれた。彼女とはもうかれこれ40年来の知人である。私もその瞬間、展示会の発起人となったうえは、確たるメッセージとイメージを今に発信すべく、視覚デザインの監修を引き受けて、忘れがたい機会にすべし。
diary photo  「ちいさな私 x ちいさな籠」展は東京で好評のうちに先月まで、その恩恵を継いでこの5日よりは、熊本会場にて開かれる。いよいよ展示インスタレーションの準備にかかる。かつてデザインした広い倉庫の空間をスクリーンで分割し、光をたたえた虫かごのように囲う。こどもが大好きだった蚊帳の隠れ家に時間を巻き戻して。 memories, they can’t be boughten…ちいさな籠の端々に籠る手の愛おしさ。

11月10日
 今月末まで熊本で開催している「ちいさな私 x ちいさな籠」展を発起した私のメッセージは、gallery KEIANの堀惠栄子さんの眼で選択されて実現にこぎつけた。diary photo
 籠はどれも素材や編み方や伝統的な形の典型ともいえる秀逸なものばかり。それが、ちいさきゆえに際立つ。このようなオブジェクトは提示の仕方によって印象が変わるため、東京展と熊本展の会場となる場の特性から導き出すインスタレーションのような方法を試みた。東京は広いデッキに続く空間の、ほどよい密度が、とある海辺のちいさなギャラリーのようだった。熊本は広い倉庫の空間に、透過する膜と光の効果を分割装置にして、宇宙で浮遊する惑星のような感じに。
 そしてついに私の手に落ちたのはクインテッセンシャルな、たとえば画用紙に鉛筆で、籠の絵を描いてみようとするとき思い浮かぶもの。手触りや使い心地などこめて描くアウトラインは、天然果実のように満ち足りて持つ人の個性に寄り添う。

11月20日
 今年は秋田のわいないきょうこさんと一緒に服のブランドを立ち上げた。はじまりは、彼女が数十年もロンドン住んで、バッグを作って、ヨーロッパ各地のブティックで販売するという生活だった拠点を、コロナを機に離れて日本へ帰ることに決めたとき。日本へ帰るとすぐに全国を旅してまわり、終の住処に決めたのが秋田だった。旅の途中で何度も私のところでいろんな話をして、希望に満ちた計画も。 diary photo
秋田に住み始めてすぐに、周辺に眠っている素晴らしい資源を見つけたと興奮してはいろんな活動を始めて、感受性みたいなものが資本ですからとskypeで交信するのが日課になった。そんなある日、私の愛用している服の典型を秋田の腕のいい小さな縫製工場で作らせてみたいと。
 すり切れるまで着た昔のパジャマや、着心地のいいシャツ、愛用のエプロン、若い頃着ていたライダーズジャックなど、あらためて製図をしなおしてサンプルを縫って送る。「どうですか?」「すき!」「作りましょう!」とプランを温めながらかたち作る雪国の仕事。