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ユートピアという理想郷の反対の
 2022年というのに、わが目を疑う光景がくりひろげられている。春の陽射しの日曜日の朝、キエフから中継されるBBCのライブニュースを呆然と見ながらふと、また世の中はがらりと変わる気がした。机の脇に重ねた本の一番上に、1949年に刊行されたジョージ・オーウェルのディストピアSF小説「1984」の表紙がある。
 この本に書かれている第3次世界大戦後の核戦争後の世界は、4つに分断されている。英国、アメリカ、オーストラリアからなるオセアニア、EUとロシアを合わせたユーラシア、そして日本は中国と一体になったイースタシア、アフリカ、中東およびインド、東南アジア一帯は紛争の絶えない人の住まない地域とされている。diary photo ディストピアとはユートピアという理想郷の反対の暗黒世界のこと。架空の話というには真に迫って、これってじつは一人ひとりに潜在する世界のことじゃないのか。倒錯した思考回路は老化の末期でしょうか、ご用心。in newspeak, two plus two makes five makes doublethink… いつも心にオアシスを、と春ささやく。

3月10日
 私の暮らしている熊本は、夏は鉄板焼きの上を歩くほどにじりじりと暑く、かたや冬には底冷えのする厳しい気候なので、カリフォルニアやシチリア、あるいは中近東が故郷のレモンにとっては、この寒暖差はちょっと過酷かもしれない。diary photo
 広島の知人から送られてきた箱詰めのレモンを、開封してすぐにかじったら、香りも味も素晴らしくて、種を取り、芽出しをして3、4本の鉢植えにして育てていた。種の粒は大きいのや小さいのがあったけれど、あれは単なる成長の違いゆえではなかっのか。それぞれに年月を追うごとに枝ぶりも葉の形や大きさも違って、先祖返りをしたようだ。夏は虫に喰われたり。冬に葉が枯れ落ちててしまったり。残った大きな樹と小さな樹を北風から守るために、夫は寒冷紗を巻いて覆った。
 近所の公園で遊ぶ子供達も、去年も今年の冬もずっとマスクで覆っているのが見えた。春はすぐそこに。みんなで本来のあるべき姿に戻るまで、いましばらく養生をしていましょう。

3月20日
 ウクライナが焦土と化してゆくのを、なにもできずに、もどかしい葛藤の常態もまた精神を蝕む。破壊される映像が引き起こす軋轢や陰鬱な空気は、冬から春へとくぐりぬける空の濁りに似ている。感染とか、爆発とか、激震とか、予期せぬ事象が頻繁に起こると、自分の予定や志向なんぞことごとく砕かれて水の泡。
diary photo  しかし、世の中が劇的に変化するのであれば、怒涛の渦中にある「わたくし」というエゴを捨ててもがくことなく、だまって目の前の現実を受けとめる。
 然るべきは土の下から艶を帯びた瑞々しい緑葉を出す植物のように、老木のひび割れた節から桜色の初々しい蕾が顔を出すように、身の回りに起こる事象の流れを読むがごとく触覚をのばして繁栄する植物の理性。
 といったように、諸法無我に振舞っていくのがこれからの処方なのかな、と問いかけた。去年あれほど猛々しくそびえていたスープセロリの株は、今年の花壇にはもうない。代わりに種をまいたイタリアンパセリの瑞々しい芽吹きがある。